対馬侵攻事件【つしま-しんこう-じけん】は、第三次世界大戦の後期、2060年に大亜連合・高麗自治区軍が対馬を攻撃し、半年にわたって占領した事件。住民の7割が殺され、脱出した2割も重傷や軽傷で何処かしら傷を負い、残り1割は拉致された[Ⓝ劣-7-321,8-267,㊮全テ-142]。
(日本国政府は)「相手国を無用に刺激しない為」という理由で、国境の島であるにも関わらず最低限の守備隊しか置いていなかった(その結果がこの惨事である)[Ⓝ劣-7-321,管補]。
対馬を奪還したのち政府はこの島を要塞化し、大規模な軍港と堅固な防壁、最新鋭の対空対艦兵装を備えた最前線の基地を建設した(対馬要塞)[Ⓝ劣-7-321]。
この事件以降、日本と大漢は大亜連合を共通の敵とする軍事的協力関係となった(同盟国ではない)[Ⓝ劣-8-267]。

